らっきょうづけにおもうこと


義父が脳の病気で倒れた年の父の日に、たまたま漬けてたラッキョウ漬けを送って喜ばれたことから、以後毎年義父には父の日のプレゼントにお手製のラッキョウ漬けを贈るようになった。いい嫁を気取りたいわけじゃなく、手さえ動かせば考えなくて済むからだ。
でもいい嫁ってなんだろう?そもそも私はこの「嫁」という言葉が嫌いだ。結婚が決まったとき、生意気にも私はオットに「あなたの妻になるのであってあなたの実家に入るわけではないので、人前でも私のことを『嫁』とは呼ばないで」と宣言した。殊に関西の人は配偶者を「嫁」と呼ぶ人が多い。そう呼ばれることが不快だった。肩肘張っていた。
で、いい嫁ってなんだろう。そういえば義家族に「いい嫁」と思われたいって、あまり考えたことがなかった。それはなぜか。自分はいつまでも他人というスタンスでつきあっているからではないか。つかず、離れず、一番近しい他人。そういえば私は昔から両親ともつかず、離れずな関係なのだった。まず「娘」という距離感がよく分かっていないのかもしれない。「娘」になれなくて「嫁」になれるものか……。
毎年この時期に考えてしまう。そして、まだ答えは出ない。